2024年の1月は、この言葉でした。
親鸞聖人も大切にされた言葉です。
私も大切にしています。
東北から帰ってきて、
今日の午後は久々にゆっくりしています。
今から子どもたちの床屋に付き合って
イオンに行って、ご飯を食べて
夜は子どもとDAZNでサッカー観戦。
何でもないようなことが
しあわせだったと思う。
あの歌のように
一日、一瞬を大切に生きたいです。
以下、読んでいただけたら幸いです。
【住職のひとりごと】
この言葉については、
ご法事のときに法話で
よく申してあげております。
親鸞聖人は、
善導大師という中国のお坊さんを
師と仰いでおられるんです。
正信偈が途中で切れて
「善導独明仏正意」と
音が上がる箇所がありますね?
あの部分に出てくる方のお名前です。
そして上記の言葉を残して下さいます。
「きょう」という響きの言葉が三度も登場。
「経」「教」「鏡」です。
つまり、お経、
その中に書いてある教えというのは、
私にとって何か?
それは鏡なんだ、という意味です。
さて、今日あなたは鏡を見ましたか?
鏡を見て何を知りましたか?
鏡の製造メーカーですか?
きれいか汚いか?
それは二の次ですよね。
ありのまんまの私の姿が
飛び込んできたでしょう。
そして「これではだめだ」と思い、
髪を整え、身を整えられたと思います。
それで終わりですか?
明日も見るでしょう。
明後日も、これからもずっと。
仏教が鏡であるとは、
教えにより、
心のありようが暴かれるということ。
それを聞いて、心を正しても、
すぐに散り乱れていくのが私の心です。
だから、教えを手元に置い
て常に確認するんです。
わが身の姿や心を。