9月の掲示板の言葉はコレでした。
お寺での法話では
このような話はあまりしません。
やはり信心の話が中心です。
ですが、若い方がいる場合などは
今月のような話はします。
以前、龍谷高校でもこの話はしました。
高校生は多感な時期。
人間関係に悩むことも多いし
受け止める器が
まだ出来上がっていなくて
溢れて器が壊れてしまいそう。
なので、受け流すことも
必要ですよ、と
偉そうに話してきました。
以下、読んでくださったら嬉しいです。
【住職のひとりごと】
人の言葉には勇気づけられたり、
背中を押してもらうことも多々あります。
一方で、刃物で心をえぐられるような
言葉にであうこともあります。
みなさんは、そんなとき
どうやって心を保ちますか?
私は性格を自己分析しますと、
承認欲求が強く、嫌われたくない。
みんなによく思われたい人間です。
故に、勝手に苦しむこともありました。
しかし最近は、
性格は変わりませんが、
受け流せるようになりました。
法話の中で、
このような話を聞いたのも
一つのきっかけです。
紹介します。
あるとき、
お釈迦さまのことを罵詈雑言、
ののしる男がいたそうです。
あまりにも下品な汚い言葉に、
お伴の者は我慢がなりません。
「お釈迦さま!なぜ、あのような言葉を
聞いて黙っておられるのですか!」
「私は我慢がなりません。
お釈迦さまが無言を貫くのなら、私が!」
そう言うと、お釈迦さまは
「やめておきなさい」と仰られます。
「私はあの言葉を受け取っていない。
だからあの言葉は私のものではない
あの言葉を発した者に返っている。
受け取らなければ、彼のものだ」
と言われました。
時には、受け取らなくてもいいんです。
どうです?少し楽になりませんか?
仏法聴聞すると
いい薬にであえることもありますよ。