2021年03月05日

本尊・阿弥陀さまI





6C22EF84-767E-41C2-856D-64010ED12170.jpeg



昨日、病院で術後の鼻の消毒をして帰ると、かわいい集団がいました。





先生と園児と30人くらいで散歩をしておりました。





集団の先頭で手を繋いでいるのは、長男と二男。





先生方にも声をかけて、せっかくなので本堂に上がってもらいました。





みんなで阿弥陀さまに手を合わせました。





せっかくのご縁ですので、子ども達に向けて、仏さまのお話をしなければ!と思い、





阿弥陀さまの姿のお話をしました。





「この仏さまは、どんなかたちしてる?」





聞くと、「立っとる!」





元気に答えてくれました。





「そうだよ、みんなのことがねぇ、心配ですわっていられない!」って立っているんだよ。





四十八願の中の三番目の願い、悉皆金色の願の話もしました。





法蔵菩薩は「すべての人のいのちが輝くことがなければ、わたしは仏にならない!」と誓われました。





そう誓わねばならないのは、すべてのいのちが輝くことがない現実があるからです。





願成就して、阿弥陀さまのからだが金色に輝くのは、「一人一人のみんなのいのちが大切だ」って、ことなんだよ。





ちょっと飛躍した話になったかもしれませんが、





「みんなのいのちは、願われている尊いいのちだよ」と伝えました。





3歳〜6歳までの園児さんですので、伝わったかどうかわかりませんが、本当に有難いご縁でした。





阿弥陀さまも喜んでおられるように感じました。




posted by 覚円寺 at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年02月19日

本尊・阿弥陀さまH





367E2F19-D14C-4BBA-8738-BEFA09AD4C9A.jpeg




こちらは、金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏座像です。





アフロの阿弥陀さまです。





法蔵菩薩のときに、どれくらいの時間、私が救われるために悩まれたのでしょうか?





正信偈に
法蔵菩薩因位時 ‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥五劫思惟之摂受  
とあります。





五劫(ごこう)という時間です。劫とは時間の単位です。





果てしない時間の長さを示す比喩です。





一劫とは、160キロ四方の大きな岩に100年に一度天女が降りてきて、その羽衣の袖で岩をなぞって帰っていき、途方もなく繰り返し、摩耗で岩がなくなる時間のことです。





わけわからんでしょ?(笑)それ×5が五劫です。





つまり、私という存在はそれぐらい救い難いのである、ということなのです。






永い間、悩みすぎて、髪がこんなんになってしまったようです。





誓願を起こした法蔵菩薩が、阿弥陀さまになるのには、さらに永いご修行が続きます。






落語の「寿限無寿限無 五劫のすりきれ……」





これもここから始まったものです。





お経には全てに意味(願い)がしっかり書かれてあるんです。





ねっ!仏教って面白いんですよ(^^)


posted by 覚円寺 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年02月17日

本尊・阿弥陀さまG




9CD288EF-9431-4FF6-8E50-1B8CDD790F4A.jpeg




選挙演説を聞くことがありますよね?





「もし、私が当選しましたならば、必ず○○することをお誓い致します!」





高らかに演説なさっても、当選後には誓いが成就されない場合があります。





そして公約が守られたとしても、利益がある人もいれば、損害を被る人もいます。





法蔵菩薩は、遠い昔に48の誓いを建てられました。





全てのいのち(十方衆生)のための誓いです。






「もし、あなたが○○となることができなければ、私は仏(阿弥陀)とならない!」





量り知ることのできない永い間、私が救われる方法を思惟して、





想像できない永い間、私が救われるために、修行されたのです。





つまり「南無阿弥陀仏」と成就された、阿弥陀さまが私の前におられるということは、





私が救われることが証明されているということです。





そして、誰も救いから漏らさない!と全てのいのちを救える仏になられたのです。





正信偈には

帰命無量寿如来 南無不可思議光

 法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所

 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪

 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓

 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方





の箇所に、そのことが書かれてあります。






「そんな作り話、バカバカしい!」






と受け取れば、大切なことが何も聞こえてこないでしょう。





「なぜ、そのような誓いを建てられて、南無阿弥陀仏にならねばならなかったのか?」





と受け取れば、阿弥陀さまの心にふれ、この人生において大切なものを、得ることができるでしょう。





@馬鹿な作り話
Aなぜ、私を救うために阿弥陀となられた?





あなたは、@とAのどちらで聞きますか?




posted by 覚円寺 at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年02月12日

本尊・阿弥陀さまF



A324072D-8512-47DE-936B-A745ABF20E72.jpeg





なぜ、ご本尊の光明が48本なのでしょうか?





それは「阿弥陀さま」になられる前身であった「法蔵菩薩」が、48の願いを起こされたことに由来します。





※阿弥陀さまの12のはたらき(十二光)が4方に至り届く。12×4=48 という考え方もあります。





全ての人を救える存在である阿弥陀さまになられる前の法蔵菩薩が、






「私、法蔵は、もし○○でなければ、仏(阿弥陀)になりません!」と誓い、願いを持ったのです。





その誓願が48願あるということです。





そして阿弥陀さまとなって、「南無阿弥陀仏」と、いま私に届いているということは、その誓願が成就した、ということなのです。





文章でお伝えするのは、難しいです(汗)






是非、お寺の法座にいらしてください。






布教使さんたちは、かみ砕きながら分かり易く、お話してくださいます。






次回は、少し例え話を用いてお伝えさせていただきます。



posted by 覚円寺 at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年02月01日

本尊・阿弥陀さまE





FA0D464B-F901-4EF6-A5EE-E7AC12E44147.jpeg





ご本尊・阿弥陀さまには、前述したように背中がありません。







しかし、光背はあります。背から光明がはなたれていますよね。








その光、何本か知ってますか?









48本です。(ほとんどが)








81FCD1A4-8D2A-4F80-9478-DA7075A67781.jpeg
※イラストは広島の友人、有谿賢友氏の作品です。








AKBも48!
阿弥陀さまも48本。AMD48!?







大相撲も決まり手は48手。無関係ではなさそうですねぇ。








秋元康氏と相撲協会に聞いてみたいです。








さて、なぜ阿弥陀さまは48本の光明をはなっておられるのでしょうか?








ちゃーんと、意味があります。








長くなりそうなので、次回に続きます。




posted by 覚円寺 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月22日

本尊・阿弥陀さまD




63BAEDBE-41F9-425D-8C42-3634BCBF1633.jpeg





ご本尊・阿弥陀さまは、必ず蓮台に立っておられます。ハスの花の上です。







木像であっても、絵像であっても、名号(南無阿弥陀仏)であっても。







なぜでしょうか?








ハスは泥の中から生えます。その美しさは泥に染まることなく、見るものを感動させます。








ハスの花は、澄んだ清流の中では育ちません。(スイレンはちがいますが)








ハス(さとり)は、汚泥の水(煩悩)が故にキレイな花を咲かせるのです。








117660E6-F8A2-4FC1-8BDB-A7BAFB48F1E5.jpeg







そのハスの花(さとり) の上に立っておられる阿弥陀さまは、泥の中(煩悩から離れることのできない私の元)に飛び込んでくださいます。








つまり、南無阿弥陀仏の声となり、私の中に満ちて、さとりの世界に導いてくださるのです。








煩悩の私を、「必ず救う!さとりへ導いてみせる!」







それを「ハスの花の上に立つ」という姿で知らせておられるのです。







阿弥陀経や正信偈にも「蓮」はたくさん出てきますよ。







お参りの際などに、何でもご質問ください。



posted by 覚円寺 at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月20日

本尊・阿弥陀さまC





79FE302E-1C25-4D63-B6BF-AAC55CFEC7B5.jpeg





みなさん、人に背を向ける時ってどんな時ですか?







相手の顔も見たくない。相手の存在を否定したい。







そんな場面かも知れません。








「仏身は円満にして背相なし」







なんと!阿弥陀さまには背中がないのです。







私が、阿弥陀さまに背を向けるような生き方をしていようが、阿弥陀さまを誹るような言葉を吐こうが。








私が背を向けて逃げて行ったからといって、私に背を向ける仏さまではありません。








どんなあなたであろうと、見逃さない・見放さない・見過ごさない。








この私が心配で仕方がなく、必ず救うと、見守り続けてくださる仏さまです。








立ちながら、前のめりになりながら、背中を決して見せることなく。








この私から、絶対に目を離さない!という想いが、お姿に表れているのです。








そんな私は・・・







些細な一言で「ぷいっ!」







反省の日々です。



posted by 覚円寺 at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月11日

本尊・阿弥陀さまB





B4D81C78-00D5-41C1-875C-30C335DC0D3B.jpeg







ご本尊・阿弥陀さまの姿のお話の続きです。








この「わたし」のことが心配で座ってみていることが出来なかった、阿弥陀さま。








ただ、お立ちになられただけではないのです。









よーく、写真を見てください。







47F2B9EE-CF7A-475F-8301-548418E9081C.jpeg







前のめり、前かがみになっておられるでしょう?








これも、この「わたし」を思うお気持ちが姿に表れているのです。








プロ野球のシリーズ優勝を決める試合、最後の場面。どうですか?








選手や監督は座ってますか?








早く優勝を感じたくて。分かち合いたくて。







体がベンチからグラウンドに出てないですか?








気持ちが体に表れていますよね。








故・野村監督はいつも鎮座しておられましたが(笑)







阿弥陀さまも一緒です。








「あなたを必ず救える仏になったよ」
「わたしにあなたを救わせてくれよ」
「南無阿弥陀仏とわたしの名前を呼んでくれ」
と、前のめりになっておられるのです。








「早くいのちを終えて極楽浄土へ来いよ」ではないですよ。







「いま、南無阿弥陀仏と称え、この願いに出遇ってほしい」と働き通しのお姿なのです。








さて、ウチの次男は手に負えないくらいワンパクで、動き回ります。








お兄ちゃんの真似をして、飛んだり跳ねたり。









いつでも助けに行ける体制になっていますよ。私も、働き通しです(笑)








続く。





posted by 覚円寺 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月07日

本尊・阿弥陀さまA





1E1D0DCB-D5F0-4A97-A479-9FD2B54620F5.jpeg






浄土真宗のご本尊、阿弥陀さまは立っておられます。







同じ阿弥陀さまでも、座像の阿弥陀さま(鎌倉や高岡の大仏さま)もおられます。








もちろん座像の阿弥陀さまも、私たちを悟りへ導くためのお姿であります。







しかしその上でなぜ、浄土真宗の阿弥陀さまは立っておられるのでしょうか?








それは、危なくて仕方がない「わたし」を座って見ていることができなかったのです。








赤子のように。危なっかしくて、心配で。








立たずにはおられなかった、仏さま。








それが浄土真宗のご本尊である、阿弥陀さまです。









私が今ここにいるのは、放っておいたら「いのち」を終えていただろう、私を見守る方が(もしかしたら親に代わる存在かもしれません)いたからでしょう。







もちろん、様々な親子関係が存在するのも承知しております。








でも、この世の中において「阿弥陀さまが私を憂いてくださる心」を例えるとしたならば、「親心」が1番近いのかもしれません。








ついつい、長くなってしまいます。








なるべく読み易いように心がけます。



 




「本尊・阿弥陀さま」シリーズ、続きますのでお付き合いくださいませ。






posted by 覚円寺 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月06日

本尊・阿弥陀さま@





CD55AA8E-49EE-4CE6-A3F9-0BCDA03C4C31.jpeg






浄土真宗のご本尊は「阿弥陀如来」です。







先達方は「阿弥陀さま」「親さま」「のりはん」「なんなさん」「ののはん」などなど、お敬いの念を込めて呼んでこられました。







何と!日本三大仏と呼ばれる(富山では)、高岡の大仏さまも「阿弥陀さま」なんですよ〜!







ちなみに鎌倉大仏さまも!







でも、高岡大仏も鎌倉大仏も座っておられますよね?








でも、私たちのご本尊は?立ってる!








何で?同じ阿弥陀さんなのに?








そんな疑問に少しずつ答えながら、お伝えしたいと思います。







今年は教義についても、書いていく予定です。







どうか、お付き合いのほど宜しくお願い致します。



posted by 覚円寺 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー