2021年02月12日

本尊・阿弥陀さまF



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なぜ、ご本尊の光明が48本なのでしょうか?





それは「阿弥陀さま」になられる前身であった「法蔵菩薩」が、48の願いを起こされたことに由来します。





※阿弥陀さまの12のはたらき(十二光)が4方に至り届く。12×4=48 という考え方もあります。





全ての人を救える存在である阿弥陀さまになられる前の法蔵菩薩が、






「私、法蔵は、もし○○でなければ、仏(阿弥陀)になりません!」と誓い、願いを持ったのです。





その誓願が48願あるということです。





そして阿弥陀さまとなって、「南無阿弥陀仏」と、いま私に届いているということは、その誓願が成就した、ということなのです。





文章でお伝えするのは、難しいです(汗)






是非、お寺の法座にいらしてください。






布教使さんたちは、かみ砕きながら分かり易く、お話してくださいます。






次回は、少し例え話を用いてお伝えさせていただきます。



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2021年02月01日

本尊・阿弥陀さまE





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ご本尊・阿弥陀さまには、前述したように背中がありません。







しかし、光背はあります。背から光明がはなたれていますよね。








その光、何本か知ってますか?









48本です。(ほとんどが)








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※イラストは広島の友人、有谿賢友氏の作品です。








AKBも48!
阿弥陀さまも48本。AMD48!?







大相撲も決まり手は48手。無関係ではなさそうですねぇ。








秋元康氏と相撲協会に聞いてみたいです。








さて、なぜ阿弥陀さまは48本の光明をはなっておられるのでしょうか?








ちゃーんと、意味があります。








長くなりそうなので、次回に続きます。




posted by 覚円寺 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月22日

本尊・阿弥陀さまD




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ご本尊・阿弥陀さまは、必ず蓮台に立っておられます。ハスの花の上です。







木像であっても、絵像であっても、名号(南無阿弥陀仏)であっても。







なぜでしょうか?








ハスは泥の中から生えます。その美しさは泥に染まることなく、見るものを感動させます。








ハスの花は、澄んだ清流の中では育ちません。(スイレンはちがいますが)








ハス(さとり)は、汚泥の水(煩悩)が故にキレイな花を咲かせるのです。








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そのハスの花(さとり) の上に立っておられる阿弥陀さまは、泥の中(煩悩から離れることのできない私の元)に飛び込んでくださいます。








つまり、南無阿弥陀仏の声となり、私の中に満ちて、さとりの世界に導いてくださるのです。








煩悩の私を、「必ず救う!さとりへ導いてみせる!」







それを「ハスの花の上に立つ」という姿で知らせておられるのです。







阿弥陀経や正信偈にも「蓮」はたくさん出てきますよ。







お参りの際などに、何でもご質問ください。



posted by 覚円寺 at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月20日

本尊・阿弥陀さまC





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みなさん、人に背を向ける時ってどんな時ですか?







相手の顔も見たくない。相手の存在を否定したい。







そんな場面かも知れません。








「仏身は円満にして背相なし」







なんと!阿弥陀さまには背中がないのです。







私が、阿弥陀さまに背を向けるような生き方をしていようが、阿弥陀さまを誹るような言葉を吐こうが。








私が背を向けて逃げて行ったからといって、私に背を向ける仏さまではありません。








どんなあなたであろうと、見逃さない・見放さない・見過ごさない。








この私が心配で仕方がなく、必ず救うと、見守り続けてくださる仏さまです。








立ちながら、前のめりになりながら、背中を決して見せることなく。








この私から、絶対に目を離さない!という想いが、お姿に表れているのです。








そんな私は・・・







些細な一言で「ぷいっ!」







反省の日々です。



posted by 覚円寺 at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月11日

本尊・阿弥陀さまB





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ご本尊・阿弥陀さまの姿のお話の続きです。








この「わたし」のことが心配で座ってみていることが出来なかった、阿弥陀さま。








ただ、お立ちになられただけではないのです。









よーく、写真を見てください。







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前のめり、前かがみになっておられるでしょう?








これも、この「わたし」を思うお気持ちが姿に表れているのです。








プロ野球のシリーズ優勝を決める試合、最後の場面。どうですか?








選手や監督は座ってますか?








早く優勝を感じたくて。分かち合いたくて。







体がベンチからグラウンドに出てないですか?








気持ちが体に表れていますよね。








故・野村監督はいつも鎮座しておられましたが(笑)







阿弥陀さまも一緒です。








「あなたを必ず救える仏になったよ」
「わたしにあなたを救わせてくれよ」
「南無阿弥陀仏とわたしの名前を呼んでくれ」
と、前のめりになっておられるのです。








「早くいのちを終えて極楽浄土へ来いよ」ではないですよ。







「いま、南無阿弥陀仏と称え、この願いに出遇ってほしい」と働き通しのお姿なのです。








さて、ウチの次男は手に負えないくらいワンパクで、動き回ります。








お兄ちゃんの真似をして、飛んだり跳ねたり。









いつでも助けに行ける体制になっていますよ。私も、働き通しです(笑)








続く。





posted by 覚円寺 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月07日

本尊・阿弥陀さまA





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浄土真宗のご本尊、阿弥陀さまは立っておられます。







同じ阿弥陀さまでも、座像の阿弥陀さま(鎌倉や高岡の大仏さま)もおられます。








もちろん座像の阿弥陀さまも、私たちを悟りへ導くためのお姿であります。







しかしその上でなぜ、浄土真宗の阿弥陀さまは立っておられるのでしょうか?








それは、危なくて仕方がない「わたし」を座って見ていることができなかったのです。








赤子のように。危なっかしくて、心配で。








立たずにはおられなかった、仏さま。








それが浄土真宗のご本尊である、阿弥陀さまです。









私が今ここにいるのは、放っておいたら「いのち」を終えていただろう、私を見守る方が(もしかしたら親に代わる存在かもしれません)いたからでしょう。







もちろん、様々な親子関係が存在するのも承知しております。








でも、この世の中において「阿弥陀さまが私を憂いてくださる心」を例えるとしたならば、「親心」が1番近いのかもしれません。








ついつい、長くなってしまいます。








なるべく読み易いように心がけます。



 




「本尊・阿弥陀さま」シリーズ、続きますのでお付き合いくださいませ。






posted by 覚円寺 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2021年01月06日

本尊・阿弥陀さま@





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浄土真宗のご本尊は「阿弥陀如来」です。







先達方は「阿弥陀さま」「親さま」「のりはん」「なんなさん」「ののはん」などなど、お敬いの念を込めて呼んでこられました。







何と!日本三大仏と呼ばれる(富山では)、高岡の大仏さまも「阿弥陀さま」なんですよ〜!







ちなみに鎌倉大仏さまも!







でも、高岡大仏も鎌倉大仏も座っておられますよね?








でも、私たちのご本尊は?立ってる!








何で?同じ阿弥陀さんなのに?








そんな疑問に少しずつ答えながら、お伝えしたいと思います。







今年は教義についても、書いていく予定です。







どうか、お付き合いのほど宜しくお願い致します。



posted by 覚円寺 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2020年07月24日

ピンポンダッシュはダメよ(笑)

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たまには作法のことについても、述べたいと思います。少し長いです。





これから、お盆を迎えるにあたって、ご実家やご親戚の家を訪ねる方が多いと思います。





お盆なら特に、お仏壇にもお参りされるでしょう。みなさん、お仏壇の前に座ったら、まず何をしますか?





おそらく「チンチーン」とリン鳴らすと思います。そして、手を合わせて礼拝。終わり。






あまり、やかましいことは言いたくありませんが、これは作法としては「ブッブー」です。





おそらく神社の鈴を鳴らす作法と同じように考えておられる方がほとんどだと思います。





神社では、鈴を鳴らして邪気を払う、という意味と、神様をお呼びするという意味があるそうです。






仏壇でリンを鳴らす方は、ご先祖さまに「来ましたよ」とご挨拶しておられるのであると思います。




でも、必要ないです。





「来ました!」とお呼びせずとも、知らせずとも、いつも私のそばに南無阿弥陀仏となり、ご一緒下さるというのが浄土真宗の考え方だからです。





本来リンは、お経をとなえるときに鳴らすもので、音を導いてくれるものでもあります





それぞれのお経は、初めに出すべき音が決まっています。





私たち僧侶、リンやキンの音で音を探っているです。





ですので、鳴らしたからには、お経を読むのが正式な作法です。






リンを鳴らして、お経を読まずにその場を去るのは、ピンポンダッシュと一緒です(笑)





「鳴らしたらいけない」というわけではありません。本当の意味を知っていてください。






そしてお経を読む時間がなくても、南無阿弥陀仏の短い六字にはすべての功徳が込められているので、せめてリンを鳴らしたのであれば、南無阿弥陀仏とおとなえください





さぁ、この夏からやってみましょう!

posted by 覚円寺 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2020年05月02日

ヨゲンノトリと共命鳥(ぐみょうちょう)

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「ヨゲンノトリ」や「アマビエ」がネットなどで話題になっているようです。







どちらも江戸時代末期に伝染病を予言したとされ、姿を拝んだり、絵姿を写すと伝染病から逃れられると伝えられております。






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不安な世になると、こういうものにすがりたくなるのが人間です。






また、カワイイですしね。






でも・・・。予言するなら、早く言ってよ!と思ってしまうのは性格悪いですか?(笑)






ヨゲンノトリは体は1つですが、頭が2つあります。





ヨゲンノトリを見た、浄土系の坊さんたちは多分「共命鳥やん!」と思ったはずです。






「仏説阿弥陀経」の中に出てくる極楽浄土に住む鳥です。






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もう2500年以上前に、お釈迦さまが共命鳥のお話をしておられます。







どんな鳥か?
長いのですが、過去の覚円寺新聞に載せた記事を貼り付けます。






時間がある方はどうぞ。






その姿を拝むのではなく、その姿から我が身を知らされるお話です。







[覚円寺新聞19号]



 お釈迦さまは「仏説阿弥陀経」というお経の中に極楽浄土には六種類の鳥が住んでいると語られます。







その中の一羽である「共命鳥」という鳥についてお話させて頂きます。「命を共にする鳥」と書きます。どのような姿をしているのかというと、身体は一つに対して頭が二つある鳥です。







この鳥には利点があります。頭が二つありますので視野が二倍です。他の鳥よりも、おいしいものをすぐに見つけることができます。しかし、欠点もあります。身体は一つでも頭が二つありますから、それぞれの考え方を持っています。一方が食べたいと言えば一方が飲みたいと言い、飛びたいと言えば休みたいと言う。いつも意見が合わずお互いの口ばしで顔をつつきあい、いつも顔は傷だらけでありました。仮に二つの頭をA君とB君と呼びましょう。








 毎日続くケンカでついに我慢のできなくなったA君は「どうして僕は自分の思い通りにしたいのにできないんだろう。そうだ、あいつがいつも僕の邪魔をするんだ。あいつがいなくなればいいんだ。」A君はB君に毒の入った果物の実を食べさせてB君を殺してしまおうと思いつきました。








 ある日、空を飛んでいたらA君がB君に言いました。「何かすごく美味しそうな果物の実があるよ。あれを食べに行こうよ。」その果物の前までやってきました。いつもなら、「僕が先だ!俺が先だ!」とケンカを始めるのですがA君はそれが毒であることを知っています。「今日は君が先に食べなよ」A君がいうと「なんだかいつもと違うね、でもお言葉に甘えて先に食べさせてもらうよ。」と言いながらB君が一口食べました。「美味しい!なんて美味しいんだ!すごく甘いよ。」









しかし、次の瞬間には目の前が段々と霞んできました。そして、息が荒くなり口から血を吐いて意識が遠のいていきます。「僕は毒の入った実を食べてしまったようだ。たぶんこのまま死んでいく。でも最後に君に伝えたいことがあるんだ。君とはケンカばかりだったけど、いつも君の判断は正しかった。君がいてくれたから僕はここまで生きてこられたんだ。本当に有難う。」そう言い残してB君は力尽きました。








 B君が死んだことによってA君の目的は達成されました。しかし隣で今まで共にしてきた命が絶え、最後に感謝の言葉をもらったA君は「僕は何てことをしてしまったんだ!」と自分のしたことに後悔します。









ですが、すぐに今度は自分の目が段々と霞んできました。そして、息が荒くなり血を吐いてしまいます。A君はようやくあることに気付きました。








「そうだ、僕たちは頭は二つあったけれど、身体は一つだった。彼を殺してしまうということは僕も死んでしまうということだったんだ。」







 ついに息絶えそうになるA君を阿弥陀さまが見ておられました。「最後に何か言い残すことはないか?」と、質問されました。







「はい、私は大変愚か者でした。私は今まで自分ひとりで生きてきたつもりでした。しかし、今ようやく気づきました。私は彼がいなかったらここまで生きてこられませんでした。そして、他の命を奪うものは我が命をも奪い、他の命をいたわるということは我が命をいたわるのだということをこの場に及んで初めて知りました。」







 そのA君の言葉を聞いた阿弥陀さまは「そうか、しかしまだ遅くない。そのことが分かったのならば良い。お前たちをもう一度極楽浄土の鳥として生まれさせてやろう。そして、その姿かたちをもって多くの人たちに、いま気づいたことを教えてやってくれないか?」とおっしゃられました。









 こうして、共命鳥は極楽浄土の鳥となり、お経の中に出てくるのです。









さて、この鳥が私たちに伝えようとしていることは何でしょうか?








世間では、神社や寺院にお参りし、柏手を打ち、手を合わせ、護摩を焚いたりします。そのほとんどは自分の願い事を叶えるための行為であると思います。それぞれの寺社仏閣のご利益があります。









しかし、このお経の中のごく一部である共命鳥の話でも分かるように、浄土真宗の念仏やお経には願い事が叶う方法や手段はどこにも書いてありません。









 亡くなった先人が私を仏前に座らせ、念仏・お経に出遇わせてくださり、この命の在り方、尊さを教えてくださるのです。






「そこに早く目覚めてください」と阿弥陀さまも亡くなった先人も姿や形は見えないけれど、間違いなく私たち一人ひとりにはたらきかけて下さっておられます。






posted by 覚円寺 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー

2020年01月17日

病院で念仏を唱えないでください?

今日から、伊藤英明さん主演の「病室で念仏を唱えないでください」というドラマが始まるそうです。




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どんなドラマがわかりませんし、見る予定はありませんが、タイトルが気になります(笑)




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タイトルから、やっぱり念仏って「死」を連想させ、いわゆる縁起が悪く、死者や仏さまの前でしか申さないというイメージなのでしょう。




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知り合いの臨床宗教師の方が、お坊さんの格好で病院へ行った時に、「その格好で病院へ来られると困ります」と言われたそうです。




結論です。あのタイトルは困ります(笑)
病室でも念仏を唱えて下さい。
どこでも称えて下さい。





むしろ、浄土真宗の僧侶は、嬉しい時、阿弥陀さまのはたらきを感じた時、ご縁を有難たく思う時、などに念仏する人が多いですよ。




ですので、お坊さんの結婚式や披露宴などでは、念仏はあちらこちらのテーブルから聞こえます。




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昔のお年寄りは、お寺でも、畑でも、トイレでも、どこでも念仏称える、「念仏じいさん、ばあさん」がたくさんおられた、と聞きます。






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昨日の寺での御正忌報恩講のため、息子は保育園を休みました。




妻が息子の友だちに「明日はお参りだから、休むんだよ」と伝えると、




「誰か死んだん?」



と返ってきたそうです。素直でかわいいなぁ。
そして、誰か死んだらお参りするということも知ってくれていました。



でもね。人が亡くなっても、お参りするし、毎日お参りしているよ。




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病室でも、お寺でも、どこでも、念仏を称えて下さい。
念仏を、どうして称えるのか。
称えるということは、届いているということです。




ここでは、書ききれません。
どうか、お寺に参ってくださり、法話に遇っていただきたいものです。
posted by 覚円寺 at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 教え・作法・マナー