2025年01月31日

掲示板の言葉 2025年1月


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御正忌報恩講が終わってからは
新年会が続いておりました。


それもひと段落。
明日から2月ですね。


2月、3月は年度末なので
消化してない研修会、
それに伴う準備会のオンパレード。


何とか乗り切ろうと思います。


さて、今月からの掲示板の言葉は
これでした。ご笑覧下さい。


来年あたりにツアーを組む予定。
一緒に京都へ行きましょう!


【住職のひとりごと】


ネット社会になって、
世の中の色々な意見が
耳に届くようになりました。


いい話も耳の痛い話も。
お寺の対する厳しい意見も
散見されます。


「気を付けないとな」と
 思うこともあれば
「全然違うよ、ふざけるな」と
 思うことも正直あります。


誤った情報や偏見が
あまりに多すぎて…


法名(戒名)に関しても、
間違ったことが
よくネットに書いてあります。


何十万、何百万だ。
そうなんですか??
正しい情報を書きますね。


基本的には、
生前に法名を授かっていただくのが、
一番いいです。


しかし、
可能でない方もおられますから、
葬儀の時に住職が法名を
つけさせてもらいます。


その場合には、
お金はいただいておりません。


生前に法名を授かる方法は二つ。
一つは本願寺で帰敬式を受ける。
もう一つは、
別院(稀に一般寺院の大法要)で
受式する方法です。


受式に冥加金として
1万円かかります。


内願法名(自分で決める)は2万円です。


法名はお経から頂く場合が多い。
生き方が定まるのです。


めっちゃ素敵なことです。


来年あたりに覚円寺で
本願寺参拝ツアーを
企画しようと考えています。


法名をお考えの方、ご一報ください。



posted by 覚円寺 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年12月30日

掲示板の言葉 2024年12月


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昨日、餅つきをしました。
アツアツの餅を頬ばる子どもたち。
顔を真っ白にして楽しそうでした。


さて、今月の掲示板の言葉はコレ。
いよいよ今年も終わりですね。
色々あった年でした。


以下、住職のひとりごとです。
読んで下さったら嬉しいです。


【住職のひとりごと】


「縁起でもない!」
みなさんは、どんな状況で
この言葉を使っていますか?


「このタイヤ、ツルツルだよ。
 早く交換しないと事故に遭うよ」
 と言われて


「やめてよ!そんなこと言わないで。
 縁起でもない!」
 他にこんな例も。


「この成績じゃ、
 志望校には合格しないぞ」


「縁起でもないこと言わないで」


本来【縁起】という言葉は仏教用語。
お釈迦さまの覚りの内容なのです。


【因縁生起】
果があるのは必ず因がある。
すべてのものは相互関係している。


すごく簡単に言えば、このような意味です。


先ほどの例に戻ります。


事故に遭うかもしれないのは、
縁起でもないのではなく
縁起でしかないのです。


ツルツルなんですから。
だから、安全なタイヤをはいて
気を付けましょう。


こんな成績じゃ合格しないのは、
縁起でもないのではない。
縁起でしかない。


だから、もう少し
勉強しましょうということです。


言葉は常に変化をします。
でも、本来の意味を
訪ねてみてください。
意外に仏教用語だらけです。


posted by 覚円寺 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年12月04日

掲示板の言葉 2024年11月


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昨日は娘の保育園の発表会予行。
当日は観に行けないので
母と観てきました。


顔は不機嫌そうでしたが
一生懸命に踊って可愛かった。


ウチの子は3人とも
小さい頃は恥ずかしがり屋です。
私もそうでした。今もですが(笑)


先月の掲示板の言葉はコレ。
やっぱり深い言葉だと思います。


そして、住職のひとりごと。
読んでくだされば嬉しいです。



【住職のひとりごと】


今月の言葉。
過去最高に長くなってしまいました。
見にくいかもしれません。


20代のころ、
当時流れていた
このCMを引用して、
法話をしていました。


久しぶりに
この言葉を目にして
やっぱり深い言葉であると感じます。


学校でも、テレビでも、どこでも。
「いのちは大切だ」と耳にします。


わかるんです。大切なのは。
でもね、なぜか響かないんです。


誰が誰に向けて言っているんでしょう?
わからないから響かないのか?


「あなたが大切だ」
 と言ってくれる人は、
みなさんの周りにいますか?


親、連れ合い、
きょうだい、子ども、
親戚、友人。


誰かが言ってくれたら。
自分を丸ごと認めてくれる人がいたら、
それが生きていく力になります。


もし、そんな人がいなくても、
大丈夫です。言ってくれる方がいます。


それが、阿弥陀如来という仏さまです。
叫び続けてくださいます。


「誰が離れても、何が離れても。
   私だけはあなたを離れない仏である」と。


その仏さまの話を、
一緒に聞いていきましょう。


posted by 覚円寺 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年10月31日

掲示板の言葉 2024年10月


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今月の掲示板の言葉はこれ。
みなさんにも経験が
あるのではないでしょうか??


ここでも触れていますが
「浄土真宗は誰でも救われる教え」と
半ば、バカにしたように言う人がいます。


そうなんです。でも少し違う。
誰でも救うことができる仏が
阿弥陀如来だけれども
その心を受け取らないと
救いにあずかることもできません。


聴聞してください。
仏さまの話を聞いてください。
お寺に参ってください。


【住職のひとりごと】


目的地はわかっているのに迷子になった。
こんな経験はないですか?


私はよくあります。
その時になぜ、迷子になったのか
わかりますか?


現在地がわからなくなったとき、
我々は迷子になるのです。


例えばデパートで、
行きたいお店にたどり着けない時、
何をするでしょう。


私なら、エスカレーター近くへ行きます。
なぜか?店内の地図があるから。


そこで地図を見て、
目的地であるお店を
見つけることができたとしても
目的地にたどり着くことはできません。


そうです。
現在地がわからないと
たどり着けないのです。


あの赤い印を探すでしょ?
経験あるはずです。


人生の目標を定めても、
現在の自分の位置を知らないと
達成できません。


浄土真宗は、
「命終えたら仏に成る」という教えです。


無になるのではない。
真っ暗な世界に行くのでもない。
極楽浄土で仏として生まれるのです。


行き先は聞きましたね?
でも、それだけじゃあ、到達できません。


現在地を知らないと。
その現在地を知らせてもらうのが、
お寺参りです。


法話を聞くのです。
人間の話を聞くのではなく、
仏さまの話を聞くのです。


「浄土真宗は何をしていても
 誰でも救われる」
とバカにする人がいます。


そんなことないですよ。
仏さまは全ての人を
救える仏に成られたけれど


教えを受け取らない人には
届きようがないですからね。


ぜひ聞いてください。


posted by 覚円寺 at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年10月07日

掲示板の言葉 2024年9月


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9月の掲示板の言葉はコレでした。


お寺での法話では
このような話はあまりしません。
やはり信心の話が中心です。


ですが、若い方がいる場合などは
今月のような話はします。


以前、龍谷高校でもこの話はしました。
高校生は多感な時期。


人間関係に悩むことも多いし
受け止める器が
まだ出来上がっていなくて
溢れて器が壊れてしまいそう。


なので、受け流すことも
必要ですよ、と
偉そうに話してきました。


以下、読んでくださったら嬉しいです。


【住職のひとりごと】


人の言葉には勇気づけられたり、
背中を押してもらうことも多々あります。


一方で、刃物で心をえぐられるような
言葉にであうこともあります。


みなさんは、そんなとき
どうやって心を保ちますか?


私は性格を自己分析しますと、
承認欲求が強く、嫌われたくない。
みんなによく思われたい人間です。
故に、勝手に苦しむこともありました。


しかし最近は、
性格は変わりませんが、
受け流せるようになりました。


法話の中で、
このような話を聞いたのも
一つのきっかけです。
紹介します。


あるとき、
お釈迦さまのことを罵詈雑言、
ののしる男がいたそうです。


あまりにも下品な汚い言葉に、
お伴の者は我慢がなりません。


「お釈迦さま!なぜ、あのような言葉を
 聞いて黙っておられるのですか!」


「私は我慢がなりません。
 お釈迦さまが無言を貫くのなら、私が!」


そう言うと、お釈迦さまは
「やめておきなさい」と仰られます。


「私はあの言葉を受け取っていない。
 だからあの言葉は私のものではない
 あの言葉を発した者に返っている。
 受け取らなければ、彼のものだ」


と言われました。


時には、受け取らなくてもいいんです。
どうです?少し楽になりませんか?


仏法聴聞すると
いい薬にであえることもありますよ。



posted by 覚円寺 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年09月12日

掲示板の言葉 2024年8月


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バタバタ続きで失念しておりました。
8月の掲示板の言葉です。


前にもふれましたが、
お盆には若い方を含めて
普段お寺にお参りされない方々が
おそらく2,000人は来られます。


お寺の掲示板。この月だけは
若者や縁のない方に向けて
ピンポイント発信です。


お盆中もチラッと外に出ると
20歳くらいの青年が
スマホで掲示板を写していました。


この方だけではないはず。
私の狙い、間違ってない。


少しでも仏教に興味を持ってくれたら
お寺の住職として嬉しいです。


さて、以下読んでくださったら幸いです。


【住職のひとりごと】


意訳しますと
「ご先祖なくして、私の命はない」
 ということでしょう。


お盆を迎える、8月の掲示板に
ピッタリな言葉だと思いませんか?


仏教は因果の法を説きます。
善い結果を招くためには、
善い行いをしましょうと。


つまり、現時点がスタートで
未来にゴールを設定します。
因→果ということですね。


しかし、宗祖の親鸞という方は
どちらかというと、
果→因をみていかれます。


リンゴの種があるから、
リンゴの果実が実る。
確かにそうです。
これが因果です。


ただ、実らなかったリンゴの種は
どれだけあったことでしょうか?
そうでしょ?


つまり、今ここに
リンゴあるという事実から、
さまざまなご縁を訪ねていくのです。


少し、回りくどい言い方になりました。
静かに手を合わせて、
命をみつめましょう。


10代さかのぼると、
先祖は1024人。
20代さかのぼると
104万人を越えるようです。


一人でも欠けていたら。


私はいない。
そこには
他の動植物のいのちも関係します。


このいのち。
私の命であるようで、
私だけの命ではありません。


そう思うと、
今よりも丁寧に
生きていけるような気がしませんか??


posted by 覚円寺 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年08月01日

掲示板の言葉 2024年7月


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今朝は毎年のように
早朝の5時から法話に行ってきました。


4時に起きて、目が腫れたまま
1時間のお話なので頭が回らず
噛まない場所で噛んだりします。


それでも、一生懸命に
お話を聞いて下さって
とても有り難かったです。


さて、先月の言葉はこれでした。
いよいよ年内に「テラス食堂」を
開催したいと思っています。


続々と支援者があらわれて
もう引けない状況です。
必ず実行します。


【住職のひとりごと】を
読んでいただけたら嬉しいです。


【住職のひとりごと】


今月の言葉は「おてらおやつクラブ」
というNPO法人の理念の言葉です。


この団体は、加盟の寺院が
仏さまへの「おそなえ」を
「おさがり」として
経済的に困難な家庭に
「おすそわけ」をしておられる
素晴らしい団体です。


さて覚円寺では、
今年中に「テラス食堂」を
立ち上げたいと思っています。


@テラスのような温かさ 
Aat 寺’s(お寺という場所で)
Bすべてを照らす阿弥陀さまの元につどう


という私なりの想いがあります。


年に4回ほどを予定していますが、
ただ「みんなで食べたらおいしいね!」
という誰もが安心して
来ることができる場所を
お寺で作りたいのです。


「何か支援がしたい人」
「誰かとつながる場所がほしい人」
色々です。


私もこの
「たよってうれしい たよられてうれしい」
という言葉を軸において
この活動を推進していきたいと
思っています。


そして、社会に関わる活動を
通して信頼されるお寺になり、
人がつながり、
仏法がひろまったら最高です。




posted by 覚円寺 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年07月02日

掲示板の言葉 2024年6月


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この10日間は
ほぼ毎日法話のご縁がありました。


未熟さに失望したり
お聴聞される方々に
励まされたりしながら
お育ていただきました。


聞いてくださる人がいて
法話は成立します。


そして私も話しながら
仏さまの話を一緒に聞くのです。


なので、布教使は
「師」ではなく「使」なのです。


間違えずに
お伝えしなければ。


さて、今月の言葉はコレでした。
優しい門徒さんの話です。
是非、読んでみてください。


【住職のひとりごと】

月のお参りで伺うお宅に、
一人暮らしのYさんという
お母さんがいます。


いつもYさんは、
ニコニコとご家族や周りの方への
感謝を口にされます。


聞いていると私も気持ちがいいので、
ついつい長居してしまうんです。


そして、
人の悪口は聞いたことがありません。
本当に魅力的な不思議な方です。


先日、
玄関がたくさんの花で飾られていたので
「キレイですね」と言いました。


すると
「いつも花に語り掛けながら
 水をあげてるの。
 そしたら咲いてくれるの」
と言われました。


なんて素敵なんだろうと
優しい気持ちにさせてもらいました。


誰にでも対等に接するYさんは、
花にまで同じように接しているのか・・・。


私なら「咲く」という見返りを求めて、
水をやります。
そして、咲かなければ
「あんなに水をあげたのに」と
グチをいうはずです。
Yさんは違います。


咲いても咲かなくても、
応えてくれても応えてくれなくても、
愛を注ぎます。


さて、阿弥陀さまもどんな私でも、
まるまる存在を認めてくれる仏さまです。


私のこの人生。見られています。
願われています。そうであるならば。


願ってくれている人(仏)を
悲しませない生き方を
していきたいものです。


posted by 覚円寺 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年05月30日

掲示板の言葉 2024年5月


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今月の掲示板の言葉はこれでした。
毎月、月参りで配ります。


「毎月、読んで考えさせられる」
と、褒めてくれる方もいます。


確かに私がチラシを作成しますが
実は私が一番考えさせられているのです。
掲示板の言葉を選び、味わうのですから。


その言葉を通して
考える機会を、
見て、褒めてくれる方が
与えてくれているんです。


これを「お育て」というんでしょう。
ありがとうございます。


以下、読んでください。


【住職のひとりごと】


大島みちこさんは
難病の骨肉腫のため、
22歳で生涯を終えられました。


病院で知り合った
河野さんという男性と恋愛をし、
手紙を交換していました。


それが、大島さんの死後、
河野さんによって
「愛と死をみつめて」に編集。


「若きいのちの日記」と合わせて
大ベストセラーになったようです。


その日記の中にこの言葉があります。
とても考えさせられる言葉です。


現代は、長寿社会です。
医療の発達や充分な栄養が
摂取できるようになったため
昔とは比べものにならないくらい、
長生きができる時代になりました。


自分はもちろん、
大切な人達には健康で元気に
長生きをしてほしいと思います。


しかし、思うようにならないのが
人生というものです。


若い方の死や思いがけない死を
目の当たりにしたときに、言われる言葉。


「かわいそうに」「気の毒に」。
大島さんはこの言葉を嫌うかもしれません。


何が尊い人生なのか?
大島さんは、明日死んでも
悔いのない人生を生きること。
つまり、今日を大切に生き、
悔いのないように生きることが
尊い人生なのだと
教えてくれているような気がします。


心に留めておきたいと思います。


posted by 覚円寺 at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉

2024年05月03日

掲示板の言葉 2024年4月


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みなさんGWはどのように
お過ごしでしょうか?


天気は良さそうですね。
気をつけて
お出掛けくださいね。


さて4月の掲示板はコレでした。
読んでいただけたら嬉しいです。


【住職のひとりごと】


「火のないところに煙は立たぬ」という
ことわざがありますね。


ウワサ話が広がるのは、
必ず根拠があるということです。


そうかな??
根も葉もないウワサ話を
故意で広げる人もいるではないか?
とも思いながら。


さて、今月の言葉は
「悲のないところに阿弥陀は立たぬ」
というものです。


みなさんは、
ご本尊である阿弥陀如来を
創造神のように思ってないですか?


これは違います。
ワクチンが先にあって、
コロナウイルスが蔓延しましたか?


病院が先にあって、
苦しむ患者が現れたのですか?
違いますよね?


コロナウイルスが蔓延して、
世の中がパニックになったから
ワクチンが出来た。


この地域には病院がない。
でも、苦しむ患者が
後を絶たないから病院が出来た。


そうなんです。
阿弥陀如来がいて、
私が救われていくのではないのです。


苦しむ私を遠い過去からご覧になって、
放っておくことが出来なかったから
その者を救える、阿弥陀如来という仏に
成ってくださったのです。


その課程、
なぜこのような私を救う仏に
成らねばならなかったのか?


ここを聞かせてもらうのが、
浄土真宗で最も大切な聞法、
聴聞と言うことです。


posted by 覚円寺 at 07:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 掲示板の言葉