2月の掲示板の言葉はこれでした。
どうかこれ以上、与えられた人生【与生】が、戦争によって奪われることがありませんように。
己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
『法句経』
【住職のひとりごと】
「余生」とは、何でしょうか?
余った人生を略した言葉でありましょうか?
この言葉が使われる場面は
例えば定年後の人生を指すときが
多いようです。
辞書を繰れば
「人生の盛りを過ぎた後の生活」
とあります。
一般的な定義は「残された人生」
ということになるのでしょう。
「余生」を楽しんでいる方もおられますが
「余生」を持て余し
なげいておられる方に
出会うこともあります。
そういう意味では
「余生」は各々で違うと言えますね。
さて、ここで少し
仏教的な見方をしたいと思います。
この先の人生が
どのくらい余っているのかは
誰一人として確認することはできません。
いつ終わるのかわからないのが人生です。
そうであるならば
この賜わった命、人生を「余生」ではなく
「与生」と受け止めていきませんか?
今日のこの一瞬も与えられた命であると。
その「与えられた命」を私たちは
どのように生きていけばいいのか?
仏教には、そのことを深く見つめていく
ヒントが詰まっています。
「聴聞」を重ねて、ヒントを得て
答えを自分で導き出すのです。
元気なうちにお寺に足を運び
より充実した人生を送りませんか?

